ピンチを切り抜けた時、極上の気分が味わえる

亀岡何年生まれですか?

加西昭和56年、1981年生まれです。

亀岡若いなぁ、うらやましいくらいに(笑)

加西いやぁ、今日はこのような業界の大先輩とお会いすることになり
たいへん緊張しておりますが、ご指導のほどよろしくお願いいたします。

加西私は15年前に創業者である母とともに、小さなタコ焼き店を始めたのがこの仕事についた最初で、振り返るとそれが起業となりますが、その時点ではそんな意識はまったくなく、ただ家族が生きてゆくための手段と捉えていました。けれども、たった3坪とはいえ京橋で本格的な店舗を構えた頃から、少しずつ商売の面白さみたいなものを感じはじめ、いずれは会社にしてそれを大きくしたい、と。それが当時大学生だった私の夢だったのかも知れません。亀岡さんがこのお仕事に就かれたきっかけはどのようなものだったのでしょう。

亀岡偶然というか奇遇というか、はじまりはお互いによく似ていますね。 1970年、大阪で万国博覧会が開催された年に、私は大学3年生でした。 それまで食堂を経営していた父が博覧会場に出店することとなり、それを手伝う形でこの業界に入りましたが、 当時は将来会社を作るなどとは想像もしていませんでした。けれども、6400万人もの入場者を得た世紀の大イベントへの 出店という体験を経て、俄然やる気が湧いてきた。で、翌年、地元で店舗を開設し法人化に踏み切りました。 振り返ると父のサポートがあったにせよ、その年齢で起業し社長になったのですからずいぶんと怖い物知らずだったと おもいますね。 以降40数年、外食にかかわる企業としてさまざまな事業を展開してこれたのだから、ラッキーだったというほかありません。

加西いえいえ、そこには社長ご自身のご努力と、新たな業態を切り拓いてこられた初亀さんならではのお力の賜物だと思います。

亀岡 最初の体験である万国博覧会への出店を契機に起ち上げた(株)初亀は、いわゆる外食産業の中でも、少し特異な業態でして、万博でお付き合いの始まった博覧会のプロデューサーやアミューズメント関連の代理店の方たちとの関係の中で、企画の段階から一緒にさまざまなフードサービスを提供するというのが主な仕事となっています。たとえば、大相撲大阪場所のお手伝いをしたことがきっかけでチャンコ鍋店を開業したり、万博での経験と
実績を買われて国際花と緑の博覧会にご協力したことなどもその一例で、このような事業
を積み重ねてきたことにより結果的にそれがオンリーワンな存在となり、これまでそれなり
にやってこられた理由だと考えています。

加西ということは、プロデューサー的存在というわけですか?

亀岡そうですね。結果的にトンカツ専門店チェーンやコーヒー店、地ビール
レストラン、空港内のイタリアンなど各種飲食店の経営にも携わってはいますけれど、
本来はフードコートへの出店や環境作り、レストランそのもののプロデュースなどが
得意分野だと思っています。

加西創業以来、特定の商材のみで商いをさせていただいている当社などからみると、同じ外食産業でも大きな違いがありますが、それだけ業態が多岐にわたると、その都度ノウハウやスキルなどが求められるから大変でしょうね。

亀岡 ビジネスという面からみると、とても非効率ですね。業態ごとに必要なスキルが異なるため、それまでに蓄積したものがあっても応用がきかない場合が多い。なので、その都度苦労はしてきましたね。ただ、当社のキャッチフレーズにもあるように、私自身はより多くのお客さまに“食・遊・楽”を提供したいというのがこの仕事に就いたときからの志(こころざし)なので、そのための方法や手段はどんなものでもよいと思ってます。それがたとえ非効率でも、あまり大きな利益が見込まれないものでもね。

加西ところで、亀岡社長はご自身で料理とかされるのですか。

亀岡約15年ほどは厨房で寿司をにぎり、チャンコ鍋をはじめとする料理全般を作ってましたよ。新しい社員はほとんど知らないようですが…(笑)ただこのような経験も、経営だけでなく現場での働きやすさや能率の向上などを考えるうえでとても役立っていますね。もちろん、規模の大きいレストランなどではその道のプロに来てもらって彼らに任せてはいますけれど。

加西 私は15年間飲食業に携わってきて、いまでは9店舗90人ほどの組織となりましたが、この業界は人がとても大切だと、いま改めて痛感しています。とくに店舗のスケールによってはプロに来てもらうこともあるのですが、その方たちとの接し方、あるいは若手の育成についてもご意見を伺いたいのですが。

亀岡私がいつも心がけていることは、職人さんはもとより、若手も含めた従業員の方たちのどなたに対しても、リスペクトする気持ちを忘れてはならないということです。そして、何かがあった時は相手の行いや人格を否定するようなことはせず、しっかりと対話し改善すべきことを互いに見つけてゆくという姿勢が大事だと思います。パワハラじゃないけど、立場を笠に着て上から目線でいるといくら顔に出さなくても相手にはわかる。そうなると距離ができてしまい建設的な対話ができなくなる。経営者であっても人間である以上、感情的になることもあるでしょう。しかし、それをそのまま相手にぶつけてはダメです。つねに問題の核心を的確に捉えて、冷静な判断力で物事に対処できる人間力を養い身に付けることも良き経営者であるために不可欠です。まぁ、こんなことを言いながらも自分自身、いっぱいいっぱいになるときもありますが、すぐに反省して改善する努力はしています(笑)

加西旅館や料亭などで職人さんたちが経営者とぶつかり、全員が一気に辞めていくといった話も聞いたことがあり、怖いなと思ったり…。実は、それに似たようなことが当社でも一度ありまして、このあたり、とても神経質になっているんです。

亀岡ウチもありましたよ、ずいぶん昔のことですが。京都から招いた板前さんと価値観が食い違い、5名総上がりされたことがありました。ただ、その時はそれまでに厨房で育成していた当社の社員が複数名いたため、なんとか切り抜けることができました。でも、確かに怖かった(笑)ここで得た教訓は、やはり最悪の事態に備えてつねにそれなりの手は打っておく、ということで、起こりえる危機に対しての準備をしておく、ということも経営者に欠かせない要素でしょうね。

加西 当社ではいま、人材面で微妙な時期にあります。創業当時からのメンバーと新しいメンバーが混在している状況で、会社をより良くしたいと考える情熱派とより高い報酬を求める現実派との温度差みたいなものがとても顕著な現れ方をしだしていまして、それが結構な悩みの種になっています。私自身は、できることならこの会社に関わってくれた人にはみんなが幸せになってほしいと願っており、従業員の満足度をより高めたいとつねに考えていますが、経営面を考えるとそれもなかなか望み通りにはいかず…

亀岡 そのように自覚されているかぎり、成長への道は開かれているような気がしますよ。経営者としてのいろいろな難しい問題に直面されながらも、会社はもとより従業員の方たちのことを常に考えているその姿勢さえあれば、それらを乗り越えるたびにご自身の成長は約束されているのではないでしょうか。目の前に次々と壁が立ちはだかり、それを一つひとつ乗り越えていき、自分自身も会社も大きくしてゆく、というのが、いわば企業を率いる者の宿命です。ですから、それらを恐れることなく勇気と覚悟を持って受け止めていただきたいと思いますね。それと、現在のような情報が氾濫する時代には、しばしば目的や目標を見失いがちで、ともすると自分のやりたいことや会社のあり方などに迷いが生じる。そして、その気持ちのブレみたいなものが時には経営にダメージを与えることもある。したがって、そのようなことのないように常に自らの方向性を自分の中で整理しておくことも大切だと思います。

加西 具体的に言いますと?

亀岡これは経営者としてだけでなく自分自身の考え方や生き方にもつながることなのですが…。年商の拡大や企業の成長を目指すことももちろん大切です。また、そのためにスピードと効率を追求する、あるいは同業他社との競争に打ち勝つ方法を模索するなどの企業努力も要るでしょう。ただ、多くの経営者はそのことばかりに心を奪われがちですが、企業の成熟というのはそれだけでは語れない部分がある。従業員も含めた企業全体の幸福を追求したいと考えるなら、引く時は引く、攻める時は攻めるといった臨機応変な対応も必要です。身の丈に合わないような過大なリスクを抱えてまで成長に突っ走るのではなく、その時点、その段階の状況に合わせた緩急自在な発想による事業展開を行い、より成熟度の高い企業になれるよう努力すべきでしょう。

加西 情熱だけで前に向かうことが難しくなってきていることは自覚し始めていますのでおっしゃっていることの意味はよくわかります。

亀岡 若いうちは身の程知らずであれもこれもやってみたいと考えるものです。けれども、会社を良くするには、ある程度の年月を経た時点で一度これまでの軌跡を振り返り、その上で現状をしっかりと認識し、いまあるものやいまできることをさらにブラッシュアップしてみることも大切なような気がします。新しいチャレンジはそれからでも遅くないですし。創業から15年、もしかすると今がちょうどそれに相応しい時期かもしれませんね。

加西企業のあり方や大切にしなければならないこと、また社長ご自身の経営哲学などをお聞かせ願えませんか。

亀岡 当社の企業理念というか、これは私自身の信念、あるいは哲学でもあるのですが、会社にとってもっとも大切なことは信用だと考えています。初亀という企業が信頼に足る会社である、という認識を社会からどれだけいただけるかが重要なのです。それは各取引先はもちろんお客様に至るまで当社に係わるすべての方から、ということです。この信用、あるいは信頼を築き上げれば、おのずと成長は付いてくると、経験上感じています。

加西それは社員と経営者との関係にも言えそうですね。

亀岡 おっしゃる通りです。とくに人材の育成に関しても同じことで、相手に何をさせるかだけではなく、その社員が成長するために何をしてあげられるかというような視点も必要で、これによって作られた信頼関係は互いにとってとても貴重な財産となります。

加西リーダーを育てる難しさもこのところ感じており、創業当時から私の右腕的存在である人物に続く者がなかなか育たなくて苦労しているところなんです。

亀岡 当社の場合は、待遇面は事業部に一任しているのですが、その基準となるのは店舗ごとのリーダーのやり方、考え方、自主性を尊重し、できるだけそれを反映させるようにしています。現場のことはやはり現場がいちばんよくわかっていますからね。こんなやり方も社員との信頼関係を築くうえで結構大事なことだったりもします。

それと、実は私は社長でありながら、給料は社内で一番ではないのですよ。いつも3?4番目くらいでしょうか。もともとあまり欲がない性格なので…(笑)で、その分を、ずっと右腕として私と会社を支えてきてくれた人たちにできるだけ還元するようにしてきました。そんな彼らへの想いみたいなものも案外、相手に通じるんですよね。もちろんこれはどの企業でもあてはまるケースではないけれども、優れたリーダーを育てるための方法論の一つではあると思っています。

亀岡ところで私からの質問なのですが、加西さんはくれおーるという会社を今後どのようにしていきたいとお考えですか?

加西 「食をつくる」という企業理念に基づいて、当社に係わるすべての人たちをより幸福にしたいというのが会社と私自身の願いです。そのような考えから、生産者の方々や取引先の業者さん、従業員、そしてもちろんお客様まで、みなさんが笑顔になれるような食と食文化を提供していきたいと願っています。具体的には、食材の生産現場に足を運び、生産者の方々から得た意見や情報、想いなどを従業員に伝えたりしながら、愛情をもってよりおいしいものを作れるよう努力を重ねたいと思っています。従業員に対しては、独立支援制度などを採り入れて自立のためのサポートをしようとも考えているところです。また、社内で頑張ろうと考えている人たちには可能なかぎりの待遇改善を行い、より長く安心して働ける職場環境づくりにも取り組みたいと思っています。

亀岡素晴らしいじゃないですか(笑)いや冗談抜きでたいへん立派だと思うし、ほとんど当社の“食・遊・楽”というテーマと共通するような考えをお持ちで嬉しくなりました。というか、私が40年ほどかけてようやく到達し確立したような素晴らしいヴィジョンを、その若さで持ってらっしゃることに驚きましたね。結局、そのような理念や展望、あるいは望みというのは、企業経営に携わる者の永遠のテーマであり、どの会社でも共通する誠意ある態度なのだと思いますね。

加西 そんなふうにおっしゃっていただいてたいへん光栄に思います。

亀岡後半の部分に少しつけ加えさせていただくと、従業員の方たちには、待遇面だけでなく働く喜びと仕事の醍醐味がたっぷりと味わえる、より良い企業環境を構築できるよう、さらに日々精進してゆくというのが経営者としての責任かも知れません。

加西はい。しっかりと肝に銘じておきます。

亀岡外食産業というのは、時代が変化しても無くなることのないビジネスです。また、発想や工夫次第で自分の世界を創造し表現していける場でもあります。以前に較べるとその内容やニーズは高度化してきましたが、情熱とアイデア、そして若い気持ちがあれば成功への道のりが決して遠い分野ではないと思います。ですから加西さんのような若い経営者の方々にはどんどんと参入していただき、新しい試みに果敢にチャレンジしてほしいですね。そしてそのための強力なサポーターとしてORAも全面的に協力したいと考えていますので、頼りにしていただければと思います。

加西いま自分自身が抱えている問題や悩みを、先人の方たちもかつては同じようにお持ちになっていて、それをご自身の叡知や努力、情熱で乗り越えてこられたことを、今日、亀岡さんからリアルな言葉で伺うことができ、とても勇気が湧いてきました。終始笑顔を絶やさず優しく接していただいた亀岡社長のように私も年齢を重ねてゆきたい、というのがいまの率直な感想です。本日はたいへん貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

亀岡育男氏プロフィール

1950年生まれ。70年の大阪万博に出店した亀岡商店を翌年法人化し代表取締役に就任。以来40数年にわたり、レストラン、ファーストフード、給食事業、博覧会・イベントへの出店など、多彩な分野で外食事業を展開。現在では、これらの事業に際しての企画から運営までを一手に行えるオンリーワンなフードサービス企業としての地位を確立。

加西幸浩氏プロフィール

1981年生まれ。大学在学中に母とともに開業したタコ焼き店を15年あまりで9店舗にまで拡大・成長させた外食産業界のホープ。マスコミでもたびたび取り上げられる道頓堀店をはじめとする各店舗の人気はいずれも急上昇中で、専務取締役としてのその手腕に業界内外から熱い視線を集めている。