藤井本日、お会いできるのをとても楽しみにしていました。どうぞよろしくお願いします。

佐竹 こちらこそ、よろしくお願いします。

藤井御社は京都の料亭が発祥で、今年で創業296年を迎えられたとお伺いしています。私が1号店を開店したのが10年前ですから、そのような長い歴史を築いてこられたということに頭が下がる思いでいっぱいです。そんな長期に渡り、店を守り続けられる秘訣などをお伺いできればと思うのですが…。

佐竹藤井さんも10年で7店舗も展開されているのは素晴らしいですね。我々の業界は、近頃3年持てばよいといわれるように永続性の難しい業界になってきていますから、本当に素晴らしいと思いますよ。競争も激しいですし、栄枯盛衰で厳しい世界ですからね。

藤井有難うございます。まだまだ、これからが勝負だと思っております。

佐竹うちも最初は1軒の料亭で、それを大きく成長させたのが父でした。高度成長期を迎え、世の中が非常に勢いのあった時代に、一気に店舗拡大を図ったのです。当時、現経済産業省に勤めていた父が、「のれんを守りたい」という祖母の想いに応える形で跡を継ぎ、同時に新店構想中の阪神百貨店に転職したことがその始まりかもしれません。

藤井料亭経営と会社員の両方をされたのですか?

佐竹そうです。今思えば、これが規模拡大の布石になるんですよ。というのは、その頃、阪神百貨店が集客の目玉として老舗を集めた「のれん街」を打ち出すこととなり、急遽うちも出店することになったのです。昭和33年のことです。

藤井その頃、老舗が百貨店に出店するというのは、かなり画期的なことだったのでしょうね。

佐竹そうですね。周りからは「老舗ののれんが泣く」などと言われて批判も多かったのですが、父はものともせずに踏み切りました。結果、これが弾みとなって、どんどん規模拡大していくことになりました。

藤井新しいことへのチャレンジが、大いなる成功へと導いていくというわけですね。

佐竹 次に父が手掛けたのは、昭和42年に本店の料亭をロードサイド型レストランに大改装したこと。土地の半分を駐車場にした「民芸お食事処 美濃吉」は、こんな交通不便なところにお客様が来るのかとも言われたのですが、思いの外大繁盛。売上は予測の5倍以上にもなりました。気軽に味わってもらえる京料理として考えた弁当が、女性を中心に大ブームとなったのです。

藤井まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いというような状態ですね。

佐竹有り難いことに「民芸お食事処 美濃吉」が軌道に乗ったので、父親とアメリカ外食産業の視察ツアーに出かけたのです。そこで、アメリカ外食産業界のスケールの大きさに度肝を抜かれました。大学卒業後はアメリカの大学に留学し、レストラン経営を学びました。帰国後、洋食のファミリーレストラン・チェーン「イエロー・プレーン」を展開し、1年間で12店舗の開店にこぎつけました。

藤井順風満帆なすべり出しですね。

佐竹確かに順調なスタートを切ったのですが、2年後に株の8割を有する共同経営者とのトラブルがあり、あっさりと経営陣から追放されたのです。その時、他人資本の恐ろしさというものを痛感しましたね。

藤井そんなに急変するものなのですか。恐いですね…

藤井先程、百貨店出店のお話がありましたが、有難いことに、うちにも2年ほど前から出店依頼を頂いておりまして…。家賃の安い場所で原価をかけて良いものをお客様に提供したいという気持ちがあり、都心に出るとそうしたことができなくなるのではないかと危惧しているのですが、百貨店に出店するメリットやデメリットがあればお教え願えますか?

佐竹メリットは、たくさんのお客様が来て下さり、PR効果があることですね。そして、デメリットはおっしゃるように、その分費用がかかってしまうこと。ただ、百貨店というのは、たくさんのお客様に店の味や雰囲気を知ってもらう一つの手段ではあると思いますよ。

藤井その認知度を上げるということについてですが、広告費というのは売り上げの何%程度に決めておられるのでしょうか?

佐竹これは2%以下ですね。もう10年程マス広告は実施していません。現在は「美濃吉メンバーズカード」を大いに活用しています。入会金1000円で3年間有効とし、来店の度に5%オフという特典をつけているのですが、これで、顧客管理をしています。ですから、特にマス広告をする必要がないのです。そのように、固定客を丁寧に管理して満足度を上げ、その固定客の口コミによって、さらに固定客を増やしていくということに特化しています。

藤井なるほど、全体的に認知を広げるよりも、しっかりとした固定客をつかんでいくということですね。私も地域密着型を大切にしているので、広告を使って認知度を上げるよりも、今のお客様の満足度を上げる方が大切だと感じています。ただ、来て下さるお客様の数が増えたから、店舗を増やすという発想で7店舗までなりましたが、どうしても店舗数が増えると接客のレベルが落ちていくように感じます。そうしたことについて何か秘訣があればお伺いできますか?

佐竹うちでは人が育たなければ出店しないようにしています。育ってない人が携わると店は崩壊していきます。なので、出店の声がかかっても、人が育っていなければ出しません。断る勇気というのも大切だと思っています。

藤井そうですね。人が育っていなければ出さないというのは、当たり前のことなのに、ついついそうしたことを忘れて突っ走りそうになることがあります。

佐竹店長、調理長、接客チーフが優れていれば、店は必ず繁栄します。ただ、その3人だけを育てて全員を引っ張っていかせるという蒸気機関車型ではダメですね。それではすぐに限界がやってくる。だからこそ、全部の車両にモーターがついた新幹線型にしていかなくてはいけない。要するに、スタッフ全員のレベルを上げるということです。そのレベルを上げるのは、コミュニケーションの強化しかありません。

藤井コミュニケーション…。

佐竹 そう、店舗内のコミュニケーションが大切だと考えるので、調理場のスタッフは調理長が、接客係のスタッフは店長が、2カ月に1度、必ず10分以上1対1のカウンセリングをするようにしています。後、お客様と調理場とのコミュニケーション手段のひとつとして、接客係のスタッフに「一言メモ」というのを書いてもらっています。

藤井そのメモがお客様と調理場のスタッフをつなぐツールなのですか?

佐竹はい、そうです。お客様に直接接しているのは接客係ですから、お客様やフロアで動いていて感じたことなどを全部書いてもらうようにしています。それを毎日、店長や調理長がチェックして、「お客様ノート」に書き込むことでスタッフみんなに共有してもらうようにしているんです。お客様の声を知ることで、それぞれのスタッフが自分のすべきことが見えてくると考えています。

藤井なるほど。いいですね。勉強になります。

藤井ところで、セントラルキッチンは所有されておられますか?

佐竹それはないですね。これまで3回程プランがあったのですが、結局手掛けなかった。結果的には所有しなくて良かったと思っています。

藤井私も合理化できても味が落ちてしまうような気がするので、特に必要ではないかなと考えています。

佐竹チェーン店だからといって、どこの店でも味が同じという考え方はしておりません。手作りが基本なので、それぞれの店の料理長に任せて、その地域に合った味にしてもらっています。セントラルキッチンを設けて金太郎飴的な料理は出していないということです。結局、お客様もその方が喜ばれるんですね。調理師の個性で店を選んでもらえますから。また、統一メニューも設けていません。一時期、統一メニューにした時もあったのですが、あれは、伸びる調理師に限界を据えてしまうので、良くない結果になるということを目の当たりにしたからです。それぞれの調理長同士で情報交換をしながら、互いに競い合い伸びていってもらうようにしています。

藤井調理師の教育に関しては、ハモやフグの調理師免許を取得してもらったりはしているのですが、会社として調理研修所などを作って全体で研修する方が良いと思われますか?

佐竹うちでは「調理師8年カリキュラム」というのを作っていて、8年間で調理長に育てるシステムを採用しています。これは、各店で調理長が直接カウンセリングなどをしながら、直に育てていくというもの。集めて教育するというのは、なかなか難しい。日々それぞれの店の中で教えていくというのが早いですね。

藤井そうですよね。集めての教育となるとスタッフの貴重な休日を使うか、休業するかになりますものね。

佐竹また、うちでは昭和42年から調理師は全員自社で育成しております。毎年20人から40人の調理師を採用しています。これまでをトータルすると、1000人以上になるかもしれません。手前味噌ですが、うちで育てた独自の調理の技術集団があるというのは強味だと思います。そうしたことをしているからこそ、安心してチェーン展開できるのだと思っています。

藤井すごいですね。さすが長年の歴史と経験を培われた企業ならではという気がします。

佐竹 また、父が色々な方の協力を得ながら参画していた(社)日本フードサービス協会という組織を、農水省と共に作りまして、そこで、年金制度と健康保険制度を設定しました。それで、調理師が入社する時はJF年金に入れています。今になって、定年となったOB達が非常に喜んでくれていますね。

藤井素晴らしいですね。まるで外食産業業界の理想的なモデルのようですね。ところで、先程、各店の料理はそれぞれの料理長に任されるとおっしゃっていましたが、仕入れはどうされているのですか?

佐竹仕入れ業者は全部統一しています。本社の仕入部が、料理長の意見などを参考にしながら購入するようにしています。調理師はあまり計数管理をすると好きな料理ができなくなったりしますからね。

藤井どこまでも徹底してシステマチックにされているのですね。

佐竹 うちのポリシーには「食を通じて日本文化を創造する」ということがあって、それに対するミッションが「食に関わる全ての人をHAPPYにしよう」ということ。これに対するビジョンが「メンバー全員が毎日行きたいと思う規律ある職場づくり」ということなんですね。理念とミッションとビジョンが土壌であって、それらがあって初めて植物が生える。そして、成長した樹木の枝葉がQSC(料理・サービス・雰囲気)だと思うんですね。その結果、ようやく果実(利益)が実るのだと考えます。だから土壌をしっかりとしなくてはいけないと思っています。

藤井恐れ入りました!

藤井最後に、これからの外食産業業界にとって大切なことがあれば、教えて頂けますでしょうか?

佐竹最も重要なのは「永続性」ですね。外食産業を短期間だけやるのではなく、一生の生業として捉えるという覚悟を持っていただきたいと思いますね。店舗数などの規模はどうでもいいのですが、とにかく少しでも長く続けていくということが重要だと思いますね。

藤井そうですね。私も店舗数だけを目標にしていくような多店化には、疑問を抱いていました。

佐竹飲食店では、多店化することのメリットは、経営者の見栄以外何もないと思うんですね。間接経費がかかるし、料理や接客態度にも目がいきわたらなくなる。その結果、店の品質が落ちていく。そうしたことを防ぐためにも、「規模の拡大の放棄」をしなくてはいけない。一般的に、企業成長のためには規模の拡大が必要だと思われていますが、私が考えるのは全く逆なのです。店舗数を増やしていくばかりでは無理も生じてきますから、当然、「永続性」にはつながらないと思う。きちんと管理できる範囲で着実にやっていくためには「規模の拡大の放棄」が重要になってくると思いますね。

次に重要なのは、「地域社会への貢献」ということ。ORAなどの協会に入会するのも大切なことだと思います。人脈もできますし、ある意味、協会に加入することはイコール地域社会に対する貢献だと考えています。協会員みんなで手を取り合って業界全体を良くしていくことは、必ず地域社会への貢献につながっていきますからね。

藤井確かに、協会での活動は社会貢献につながっていることも多いですよね。

佐竹そして、「適応」ということも必要です。「適応」と「対応」とがあると思うのですが、「対応」とは社会のニーズに根なし草のごとく、ただ合わせていくだけということなのですが、「適応」というのは「不易流行」ということですね。ポリシーをしっかり持って、これだけは何があっても守っていこうとすることですね。そうした意味で「適応」がとても大切だと思います。最後に重要なのは「運」ですね。

藤井「運」ですか。そうくるとは思いもしませんでした。

佐竹「運」という言葉の意味合いは、地域貢献することで周りの人々が見守ってくださるようになり、自ずと良い流れができて上昇気流となって、みんなに良い影響をもたらしてくれることかと思います。これらの4つを重要視していくことで、店は「持続可能なモデル」となっていくと思うんです。持続可能となり、「永続性」を備えることで従業員も安心

して働ける店となります。従業員が安心して働けるからこそ、店の雰囲気も明るくなり、おのずとサービスも行き届いてお客様にも満足いただける。こうしたプラスの連鎖を作ることができれば、自然と店は繁栄していくと思いますよ。

藤井本日はいろいろと本音でお話しして頂けたことで、いつも疑問に思っていたことなどが「それでいいんだ」と再確認できることも多々あって、新たなるモチベーションを頂けた気がします。とても貴重な話を有難うございました。

佐竹力総氏プロフィール

1946年生まれ。京都出身。1970年立命館大学法学部卒業後(株)美濃吉に入社。その後、渡米しサンフランシスコ市立大学ホテル・レストラン学部入学。卒業後帰国し、1976年に(株)美濃吉常務取締役就任。1981年に専務取締役就任。1985年代表取締役副社長就任後、1995年に代表取締役社長就任となり、現在に至る。

藤井政志氏プロフィール

1976年生まれ。静岡県浜松出身。高校卒業後、大阪の「がんこフードサービス」に入社し、店長や支配人などを経験。その後、平成15年、26歳の時に「魚居酒屋すなおや三国店」を開店。現在、㈲すなおやの代表取締役として、大阪府下7店舗の指揮を執る。